宗教と政治家・狂言の拝啓

<題名;宗教と政治・狂言の背景>R4-08-03  

 人類が集団生活を始めた主な利益は、天敵の排除と食料の確保の為だったと思われるが、同時に集団の支配権と散在する集団間の覇権獲得を求める闘争が始まった。初期の闘争は武力に因るものと思われるが、やがて宗教が加わり、武力と虚像崇拝と扇動による支配地と住民の獲得競争が始まった。この獲得競争は、多くの住民を巻き込み次第に激しくなっていった。

 歴史は、カルタゴ戦争、トロイ戦争、十字軍遠征、等々、宗教と時の政権との激烈な闘争が数多く在り、多くの人々が殺戮された事を伝えている。

 日本でも、信長の比叡山延暦寺の焼き討ち・寺社勢力の消去、秀吉のキリスト教の弾圧・バテレン追放、家康のキリスト教の弾圧・島原の乱、等、いずれも数10万人が虐殺される事件が起こっている。

 現代日本の政治は、法や権威等に因って住民を治めようとする。そしてそれが正義であるとする。だが、法も権威も支配者(政治家と官僚)が住民を支配し治める為に造ったものであり、住民の生活実態から生じた物では無い。

 宗教は神の力によって住民を収めようとする。だが、神は、宗教家が妄想の中で造り上げた虚像であり、実在はしないし、実在した事は無い。信者は、宗教家と言う輩の狂言に煽られて自失したにすぎない。

 信長、秀吉、家康は、多数の人々を虐殺したが、自分の政権から宗教を排斥した。もし彼等が政権の座にいたら、統一教会を間違い無く排斥していただろう。日本は、政治において100㌫ではないが宗教の関与が無いとされる世界でも数の少ない国とされる。

 現在の日本の政治家に、宗教とのきちんとした隔絶が出来るのだろうか?

            福島 勇 ; 作家(主たる分野;理論生物学、理論物理学