闇で笑うカラス;Amazon電子書籍 作;福島勇
闇で笑うカラス・あら筋
夏が間近に迫った蒸し暑い夜、静岡県清水市の国道1号線に接して建つ篠田邸から100メ-トルほど離れた農道にワンボックスカ-が停車した。車内には黒装束に身を包んだ九人の男が乗っていた。彼等が目標とする篠田邸は、味噌製造販売業<マルカネ味噌>の店舗件社長宅で、背後は東海道線に接していた。多連結の列車が通過するときは、いつも騒々しい音に襲われていた。
「間も無く、あの家の裏を、50輌編成の貨物列車が通過する。其れを合図にや殺れ。全員を必ず殺せ!」
リーダーが言った。
彼等は黙って頷いて、用意された短刀を握り締めて車外に散って行った。
午前2時、大きな爆発音がして、篠田邸が火炎に包まれた。その火炎を見て、其処から数キロ離れた清見寺公園に繁茂するシイの大木の茂みで、九羽の渡りカラスが笑っていた鎮火後、焼け跡から四人の惨殺遺体が発見された。
静岡県警と清水署が、放火殺人事件として立ち上げた捜査本部は、現場検証の結果、1本のクリ小刀、黒色雨合羽の上衣、現金等入り布袋、ブリキ制ガソリン缶、等を押収したが、これ等の何れからも指紋の収集は不可能だった。
翌日行われた、隣接する工場と従業員宿舎の家宅捜査では、小さな裂け目と僅かに血痕の付いたパジャマ、血痕の付いた手拭、等を押収した。また、工場内で就労していた従業員竹村秀明の作業衣に小さな血痕を認めた為、此れを押収した。この時、彼の左手に軽い切り傷が有るのを確認した。
犯人に繫がる直接的な証拠が無いまま、販売した数本のクリ小刀の内の1本を、竹村に似た男が買い求めたと言う刃物店の店主の証言、想定する返り血よりも遥かに少量だが、衣類に血痕が認められた事実、彼が金銭に非常に困っていたという、知人数人の証言。これ等の事情から捜査本部は竹村秀明の逮捕に踏み切った。
その日、清水港三番埠頭の沖合いに停泊している香港船籍の大型クル-ザ-<チンホウ・フェニックス>号に、竹村逮捕の報告に訪れた二人の日本人は、竹村の単独犯としてこの事件を終らせる事を告げていた。
現場状況、供述調書、証拠とする押収物、等との整合性に多くの疑問を残したまま、竹村秀明に下された1審判決は死刑だった。、竹村は控訴したが、2審判決、そして最高裁も死刑判決を支持した。此れによって、竹村秀明の死刑は確定し、事件は決着をみた。
東京晴海客船タ-ミナルに接岸している14万7千㌧の世界を巡る豪華客船<ロイヤル・クイ-ン>号の豪華なコンパ-トメントで、2人の男が東京の夜景を眺めて祝杯を傾けていた。1人はチャン・モ-トン、香港暗黒街のボス。もう1人は村岡太重朗、彼は日本政界のボスの座を狙っていた。2人は、香港が日本軍の軍政下にあったときに手を握り合い、莫大な金員を蓄積していた。殺害された篠田雅司、村岡の第1秘書紅林は、そのシンジケ-トの一翼を荷っていた。
清水港の晴れた夜空に大輪の火花が咲き乱れ、火薬の弾ける連続音が夜気を震わせていた。清水港の繁栄を願って、人々が夏の1夜を楽しむ花火大会だったが、嘴太カラスの群れは、その騒々しい音と煌めく光に寝ぐらを追われて、北に広がる山間に消えた。だが、シイの樹間で静かに花火を見ていた渡りカラスの群れは、花火が終って静かになると、カラッ、コロッ、と互いに笑うように声を上げていたが、やがて、夜空高く舞い上がり、闇に消えた。
竹村秀明が再審を請求した。依然として謎の多いこの事件は、竹村を殺人犯として認定するには無理がある。彼は、冤罪として無罪となるだろう。
だが、四人もの人が惨殺された事実がある限り、犯人は必ずいる。この事実はは消えることは無い。現在においては、他の犯人に繫がる証拠の確保は非常に難しく、迷宮入りが懸念されているが、迷宮入りであってはならない。